本末転倒の本とは「人間力=人徳」を身に付けること
人間教学の立場では、「末学」とは知識・技能・技術を学ぶことで「時務学」(その時々において修めなければならない知識・技能)とも呼ばれています。
一方「本学」とは人間力を身に付け、人格を磨き、徳性を育て、道徳や良い習慣を身に付ける学びのことなので「人間学」とも言います。
ものには必ず「本・末」というものがあります。植物にたとえますと、「本」が根であり、「末」が枝・葉・花になります。 植物を育てるのにまず根を養うことが大切です。
そうすれば、外に現われてくる幹や枝や葉を健全に育てていくことができます。
教育で言えば本来ならば「本学」が優先されなくてはなりません。 それをあやまって、「末学」が「本学」の先に立ってしまうことを「本末転倒」と言います。
日本史上最強の指導者・吉田松陰の教え
吉田松陰といえば、幕末に今の山口県の萩市に松下村塾という私塾の塾長として、2人の総理大臣をはじめ、幕末から明治の激動期において、国家の体制を築き上げた多くの逸材を排出した、日本史上最強の指導者です。
松下村塾卒業生で維新後の日本を動かした大物を挙げていきます。
- 伊藤 博文(初代内閣総理大臣)
- 山縣 有朋(第3・9代内閣総理大臣)
- 山田 顕義(日本大学、國學院大学創設者)
- 木戸 孝允(維新の三傑)
惜しくも維新前に戦死した塾生は
- 久坂 玄瑞(長州一の秀才)
- 高杉 晋作(奇兵隊の創設者)
- 吉田 稔麿(松陰から最も期待された人物)
- 入江 九一(禁門の変での参謀)
ら、松下村塾の四天王と呼ばれた4人です。
松下村塾の教育理念は、「学は人たる所以を学ぶなり」
松下村塾が実質的に吉田松陰の手によって開かれていた期間は、諸説ありますがわずか2年弱です。
その間の門下生はわずか92人です。 1年くらいしか入塾していない者もいます。
さらに松下村塾で学ぶ門下生は、藩士の子だけでなく、足軽の子もいたし、農民や商人の子どもなどさまざまでした。 つまり吉田松陰はどのような身分であれ、学びたいという者は無条件に受け入れたのです。
なぜ、松下村塾からこれだけ多くの人財が育ったのでしょうか?
それは吉田松陰は、教育において本学、末学をわきまえて本末転倒にならない指導をしていたからです。
吉田松陰は叔父から村塾を引き継ぐとき、『松下村塾記』という理念書を作り、自らの教育理念を掲げました。
その理念が、「学は人たる所以を学ぶなり」です。
これは「人と生まれたからには、人とはどうあるべきか、この世の中で何をなすべきか、それを学問しながら追求しよう」というものです。
つまり松下村塾の塾生に学ばせたのが「人としての道=本学」なのです。
人間関係と五倫の教え
では吉田松陰が考えた「人としての道」は何だったのでしょうか?
彼が作った「士規七則」にこのような言葉があります。
凡そ生れて人たらば、よろしく人の禽獣に異なる所以を知るべし。 かだし人には五倫あり、而して君臣父子を最も大なりとなす。
現代語訳にするとこうなります。
人間としてこの世に生を受けたのであれば、当然、人聞が鳥や獣とはちがうということを知るべき。
まさしく人間には五倫、つまり、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信という、人の常に守るべき五つのありようがある。
その中でも特に君臣と父子のあり方が大切である。
人と動物と違う点は大きく分けると、
- 父子の間には親愛がある
- 君臣の間には礼儀がある
- 夫婦の間には区別がある
- 長幼の間には順序がある
- 朋友の間には信義がある
この5つを吉田松陰は、人として常に自覚しなさいと門下生たちに教えたのです。 これが「本学=人間学」です。
そして、これらを知るために学問をしなさいと教えてきたのです。
吉田松陰自身も学者になるために学問をしてきたのではありません。 あくまでも現実の世の中と関わりながら、自分と関わる人をよい方向へと変えていきたい、こうした思いで学んできたのです。
学問の第一等はあくまでも『人物をつくること』
松下村塾は“人間性を磨き合う人間道場”です。
なぜ松下村塾から多くの人材が育ったのか? その答えを一言でいえば、『人間学』を教えてきたからです。
- 『人物論』
- 『人材論』
- 『どのような人間が必要とされるのか』
ということを徹底的に学んできました。
学問の第一等は『人物をつくること』です!!
そして、どれだけ根がしっかりしていても幹や枝葉が枯れてしまっては意味がありません。そこで末学である知識やスキルを学び本学をまっとうするために尽力せねばなりません。
経済なき志はあくまでも寝言にすぎません。
本学が前輪、末学が後輪
仕事において事業の在り方は、方向性を定める前輪に本学と原動力になる後輪に末学と考えます。自転車をイメージしていただけると分かりやすいと思います。
どれだけ動力があっても、本学である前輪が方向性を間違えると、まさに『本末転倒』となります。
会社においては、社長はもちろんのこと社員をはじめ会社に関わるすべての人が本学、末学を学び実践することが必要不可欠なのです。