『起業の授業』オンライン講座

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これからの日本は

社会的課題の13ジャンル

(1)環境
自然破壊、ヒートアイランド、ゴミ問題、放射能問題、生物多様性、地球温暖化、気候変動、異常気象、CO2排出

(2)教育
待機児童、学級崩壊、途上国女子教育、識字率問題、ニート問題、子育て・育児

(3)文化
文化財保護、スポーツ支援、伝統文化継承、日本文化発信、後継者問題

(4)経済
所得格差、貧困、途上国支援、ブラック企業問題、密猟、タックスヘイブン、インフラ老朽化、大量生産・大量消費、雇用

(5)倫理
動物保護、フェアトレード(公正取引)、企業倫理、ブラック企業問題、コンプライアンス、エシカルファッション、安楽死、代理出産、自殺、窃盗被害、腐敗防止、反競争的行為、コンプライアンス

(6)人権
虐待・暴力、ダイバーシティ、ハラセメント、マイノリティ受容、障がい者雇用、家庭内問題、片親支援、ホームレス支援、LGBT支援、売春・援助交際、人身売買、先住民保護

(7)労働
長時間労働、女性活躍推進、過労死、ワークライフバランス、女性リーダー育成、非正規雇用、強制労働・児童労働、ワーキングプア、労働安全衛生

(8)人口
晩婚化、未婚化、高齢社会、人口増加、人口減少、移民受入れ、事業後継者問題、地域消滅

(9)医療
介護問題、老老介護、医療格差、早期検査推進、セーフティネット問題、生活習慣病、薬物依存、公衆衛生

(10)地域
病児保育、NPO支援、被災地支援、ボランティア活動、公共政策

(11)資源
電力自由化、レアメタル、資源の枯渇、原子力、自然エネルギー、紛争鉱物、水問題

(12)安全
防災・減災、個人情報保護、低年齢犯罪、性犯罪、詐欺、自然災害、戦争、ネットセキュリティ

(13)食料
食の安全、食品廃棄、農業、干ばつ、飢餓、食品偽装、異物混入問題

起業と社会課題の解決

BizClubから起業された方々が社会課題の解決に取り組み確実な実績もあげられています。

(一社)日本苔ヒーリング協会 川上苔子(藤岡彩起子)会長
吉本貝クラブ 吉本絵美(シェリー)さん

SDGs

持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。

日本を変えた四十六人の幕末志士

エルトゥールル号遭難事件

1890年 オスマントルコ帝国使節団が来日
エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。明治天皇に拝謁したのち帰国の途に就いたが、横浜から神戸に向かう途中に台風に遭い、岩礁にぶつかり船は座礁、沈没し581名が亡くなった。
住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった
エルトゥールル号遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。また、串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。エルトゥールル号の乗組員は神戸で順調に回復し、その後日本海軍の軍艦比叡、金剛に分譲しトルコまで丁重に送られました。
経済力からみても非常に多額の義援金が集まる
日本では犠牲となったトルコ人への同情論が高まり、当時の日本の経済力からみて非常に多額の義援金も集まりトルコに届けられました。以降、民間レベルでの交流が活発になります。日露戦争時、トルコはロシア黒海艦隊の邪魔をし日本を助け、日本連合艦隊がバルチック艦隊を破ったときには熱狂。この年に生まれた子供に「トーゴー」や「ノギ」という名前をつける人が多くいたと言われています。
1985年 イラン・イラク戦争が激化「期限以降にイラン領空を飛行する飛行機は民間機であろうとすべて撃墜する」   
 95年後の1985年イラン・イラク戦争が激化し、フセイン統治下のイラクはテヘラン空爆を開始。期限を設定して「期限以降にイラン領空を飛行する飛行機は民間機であろうとすべて撃墜する」と通告してきた。当時テヘランには日本企業社員やその家族等250名がいた。
「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」日本の航空会社は乗員組合が「危険なところには飛行できない」と拒否したため救援機を飛ばすことができなかった。また、各国の航空会社は自国民の搭乗を優先したため乗り込むことができず、イラクの通告期限があと数時間に迫っていた。日本人はそのままテヘランに取り残され、イラクの空爆下を逃げ惑うしかない状況に追い込まれつつあったが、そのとき、トルコ航空の特別機2機が飛来してきた。当時のオザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」と派遣を決断。日本人ほぼ全員が乗り込むことが出来、トルコ経由で無事に帰国できたのでした。
100年近く経っても胸にとどめ続け、命懸けで行動を起こした
決死のフライトに駐日トルコ大使は、「エルトゥールル号の借りを返しただけです」と述べています。ちなみにこのとき、日本人を優先させテヘランに取り残されたトルコ人がいますが、それについて非難するトルコ人は一人もいなかった。